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PC世代にもパソコン通信があったと思うが

ネット世代とPC世代を分ける「インターネットの隠れた本質」

 ネット世代はネットの向こう側を信頼している。PC世代は信頼してない。という記事。
 めずらしく俺みたいな凡人にもツッコめそうな記事なので、早速ツッコミw


 いきなりだが、PC世代は”パソコン通信”で、ネットの向こうの不特定膨大多数に信頼を持っていたと思う。

 確かに"検索"という部分においてはパソコン通信は弱く、それについてのパラダイムシフトは起こらなかったけれど、ネットの向こう側の人間を信頼し、創造のコラボレーションを実現していたのは同じだろう。小規模なフリーソフト開発でいえば、今よりコミュニティの距離が近かったような気がする。

 インターネットのコントロールされない世界に対して、パソコン通信の世代は、一時期、一種の畏怖を持っていただろう、しかしインターネットの向こう側を信頼しているのはいわゆるネット世代と一緒だ。ただし、信頼しているのは「情報」であって「人」ではない。

 ネット世代は、本当にネットの向こう側の不特定多数の「人」を信頼しているのだろうか?ならば、なぜソーシャルネットワークなんてものが流行る? 2chやスラドが殺伐としているのはナゼなのだろう?

 検索を辞書のように利用しているのはネットの向こう側の「情報」を信頼しているからだろう。本の辞書を信頼するのは、情報を信頼するからであって、編纂者を信頼しているわけでは無い。元を正せば「人」を信頼していることにもなるが、人格が見える形の情報の信頼度はどっちもあまり変わらないと思える。

 オープンソースがインターネットで爆発したのは、他の場所が事実上死滅したから。そして純粋なパイの広さだと思う。ネットをコミュニティの場としていたのはパソコン通信世代も変わらない。多数のオープンソースプロジェクトもそのコミュニティに入るという通過儀礼は免れない。つまり、ゆるくはあるが、閉じたネットワークを構成している。純粋な不特定多数ではない。

 ネットを主体として考えるか、目の前のコンピュータを主体として考えるかは、考え方として明確に分かれるだろう。しかしそれは変えられる。個人の資質の問題。世代の問題ではないだろう。(前提として世代間の差は超えられないと考えた場合だが)


 ところで、
 Web系の連載記事は、時として連載のテーマから外れてしまい、ただの随筆になってしまうことがある。自分の思うことを記事として調査や推敲しないまま発表してしまうのは、Web系記事に多い。よく読ませてもらっている記事を書く人の、普段感じていることを知るのは興味深いのだが、本と比べると時々フランクすぎる面が出てくることがあって、これもネット世代の特徴か? Blogというスタイルがそれをさせるのなら、Blogの功罪の罪の部分なのだろうか。まぁ、無料で読んでるくせに偉そうだが、ちょっとだけ。


 (自分の記事はどうなんだ、というツッコミはもちろん自分でしておくw)

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