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少し懐疑的

森山和道の「ヒトと機械の境界面」

全文を読まないまま、ココに反応。

 ただ、会場からも質問があがっていたが、このアプローチは旧来の特定の能力を区切って取り出すアプローチの枠を出てないように筆者には感じられた。たとえば共同注意ひとつとっても、人間の子供がパッと共同注意可能になるのが生後18カ月だという話があるが、これは当然、視覚と運動制御のマッチングを行なう頭頂葉の発達過程と不可分だろう。

 つまりヒトの場合は、頭頂葉が発達するに従って空間認知、空間把握の能力そのものが上がっていくのだと考えるのが妥当だと思われる。共同注意能力は、その枠組みの中で捉えられるべきであり、単に顔認識をしてどちらを向いているかといったメカニズムだけが共同注意の本質ではないだろう。

 そのような、アーキテクチャの成長という前提を取り入れずに、単に注意のメカニズムだけに目を向けても既存のアプローチの枠を抜け出ていないのではなかろうか。今後に期待している。

 昔、ASIMOがPうんたらとか言われていたとき、TVで組み込まれているコードのソースが映ったことがあって、ソースにものすごいcase文の羅列があったことに違和感を感じたのを覚えている。

 確かに、脳細胞の情報の伝達という点では「選択、分岐」の繰り返しだろう。しかし、シナプスではなく、もっと上位レベルの意識をモデル化しているのであれば、case文の羅列という分岐方法は知覚行動のモデルとしてはマズくないか?と素人ながらに思った。

 それ以来、ロボットのハードはともかく、頭の部分であるソフトについては懐疑的で、どうせ規模がでかくなった「カルネージハート」レベルだろ、とw

 センス(知覚)として、入り口はハードの発達もあり進歩が著しく、それなりに十分ではないか思われる。ただ、その後の前処理(必要な情報の切り取り)と本処理(情報の意味の理解)に関しては、モデルの作り方に問題があるような気がする。引用した部分の「動的でない設計」に関しても。

 本職の方が見たら怒りそうな文章だけどもw

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